ご昭和ください

ご昭和ください ブログ

昭和の赤ペン

2022年05月22日

昭和46年生まれ50歳、高橋裕です。
 
今週は「昭和の赤ペン」で30分。
 
 
中学3年生の時の担任の先生との個人ノートに、先生が返事を赤ペンで書いてくれました。進路相談などマジな内容もありましたが、ほとんどくだらない話が多くて交換日記のようでした。先生も忙しい中、良く付き合ってくれたと思います。
 
中学生の時、数学が苦手だった私は、夏休みの宿題の数学のドリルを全然やっていきませんでした。9月1日に先生に提出…ではなく、先生が答えを言って生徒に自己採点させたので、みんなが赤ペンで丸をつけている時、私はこっそり鉛筆で先生が言った答えをドリルに書き込んで、そこに赤ペンで丸もつけていました。
 
中学2年生の期末テストの英語で、50点満点で4点を取りまして。能天気な私もさすがに悩みました~。その時、「中ニコース」という雑誌で、郵送して添削をしてもらえる英語の資料を見つけました。試しにやってみると、赤ペンで丸つけをされ、【頑張ってね】と優しく赤ペンで書かれていました。自分は勝手に美人先生を妄想し英語を頑張った結果、3年生の時のテストは満点を取るようになり、高校受験も成功しました。
あの赤ペンでの優しい書き込みは、私の人生を変えていただきました。美人先生、ありがとうございました。会ったことありませんけどね。
 
中学の夏休み課題で、英語の文章を読み、カセットテープに吹き込んで提出するというのがありました。父親のカラオケセットで、古いカラオケ音源テープのツメにセロハンテープを貼ってマイク録音し提出しました。後日、英語の先生からカセットテープが返却されたのですが、赤ペンで書かれたメモ紙がついていて「声が大きくてとても良いですが、カラオケの曲間にエコー利かせて録音するのは気色悪いので、次回からは普通に録音してください。」と書いてあり、とても恥ずかしかった記憶があります。
 
父が寝台特急「あさかぜ」で出張から帰ってきたときのこと。お土産で買ってきたのが普通の赤鉛筆ではなかった。紙巻きで紐が出ていてそれをひと目盛り引くと芯が剥けるダーマトグラフというタイプの赤鉛筆でした。
この赤鉛筆を筆箱に入れていると、隣の席の女子が、めざとく見つけて「これなん?」と聞くので、「削らんでもええそいね!」と言うと「私もやってみたい!」と紐を引きました。くるくるっと剥けて芯が出ます。「わーすげー!」一瞬であたりは大騒ぎ。私も、俺も、あたいも、ワシも・・・私の赤鉛筆は、一瞬で芯だけになりました。
 
昭和の赤ペンで思い出したのは、「赤青鉛筆」。小学生の頃、テストの自己採点や教科書やノートの大事な所に線を引く時、等に使っていました。特長としては、「赤だけが先になくなり、青が余る」「六角形でなく“丸”なので、よく転がって机から落ちる。そして芯が柔らかいので100%折れる」でした。
 
 
さて、次週、5/29のテーマは「昭和の瓶(ビン)」で行きましょう。牛乳、コーラ、ビール。ウイスキーや焼酎、風邪薬も小さな茶色い瓶でしたよね~。
次週もお待ちしております!
 
 
そして、毎週水曜日更新のご昭和くださいYouTube動画もどうぞご覧ください。
今週は「昭和の磁石②」
https://www.youtube.com/watch?v=Zo-zehjpN6E
千葉からのリスナーさん、増えてます!っていう回です。
ぜひ、覗いていただいて、👍ボタンを!

昭和の外泊

2022年05月15日

昭和46年生まれ50歳、高橋裕です。
 
今週は「昭和の外泊」で30分。
 
 
私が小学生の頃、子供会で山奥にある少年自然の家に行かされました。そのときの楽しみは、消灯時間を過ぎてからこっそりと聴く、鶴光師匠のオールナイトニッポンでした。ドキドキしたり笑いこらえながら聴いていたのがなつかしいです。森進一さんの「冬のリビエラ」が、よくかかっていた時代です。
 
小学校2年生の時初めて親戚の家に一人で泊まりに行きました。距離にして1キロ位離れた所。土曜日に約束していたので、何日も前から持って行くものを遠足のリュックに入れ、寝巻き(パジャマとは言わない)、お気に入りのハンカチ、お箸=朝、ご飯を食べるときはリュックからお箸を出して食べて、又リュックの中へ。
親戚の家には、年下の子供が一人居て一緒に五右衛門ぶろに入って一緒に寝て…でも夜中に帰るって泣いて親に迎えに来て貰いました。
 
確か小学校2年生の時、身体中に斑点ができて治らず入院しました。その時が人生初の外泊。大部屋に小学生達がたくさんいたので、今思えば小児科だったんでしょう。遅くまて騒いでよく看護師さんに怒られてましたが、とても楽しかったです。思えばその時入院してた友達が阪神ファンで、それでわたくしも阪神ファンになり今まで続いてます。
 
高校生の時の同じクラスに離島から通っていた友達がおりました。「海が時化るとフェリーが出航しない」と言うので、「どうするん?」と聞くと、「民宿に泊まる」と返答が。
そこでひらめいたのが、隣のクラスにいた友達の部屋が広いことを思い出し「泊めてやってくれんか?」と頼むと快い返事。離島通いの子に浮いた民宿代で菓子とジュースを買わせ、お互い初対面なので自分も泊まる事にして首尾良くご相伴に預かりました。
それからというもの、仲良くなった3人は、試験中は勿論のこと、何かにつけ泊まるようになり(勿論お菓子に、ジュース付)そして、もう一人仲間を作って麻雀までやるようになりました。
 
「駅」泊です。今と違って、当時は真夜中でも国鉄の駅舎は開いていてそこで一夜を明かすことが出来ました。
例えば、
①北海道を一周した時の話です。旅のライダー達が中心でしたが、駅でインスタントラーメンをすすり、寝袋で寝てる人達が大勢いました。
②他にも私は終電を逃して始発まで駅で待ったことが何度もあります。
 
幼なじみの男の子の家に外泊した時のことです。我が家と違って何でもある幼なじみの男の子の家は、まるで高級ホテル。その子のお母さんが「ゆっくりしてね!遠慮せずに!好きな物食べて!」と、テーブルには、オードブル、フルーツ盛り合わせ、チョコレート、クッキー、などなどがありました。
 
 
さて、次週、5/22のテーマは「昭和の赤ペン」で行きましょう。
解答用紙の100点満点の文字、赤ペン先生、赤鉛筆を耳にさす、テストの丸付け、カレンダーに花丸つけるetc.次週もお待ちしております!
 
 
そして、毎週水曜日更新のご昭和くださいYouTube動画もどうぞご覧ください。
今週は「昭和の磁石」
https://www.youtube.com/watch?v=HGlhf54bkpE渡辺三千彦さんがチラッと登場~!
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昭和の行列 PART2

2022年05月08日

昭和46年生まれ50歳、高橋裕です。
 
今週は「昭和の行列 PART2」で30分。
 
 
昭和の行列と言えば小学校の集団予防接種です。自分のクラスの番が来ると授業を中断して体育館に行き、行列になって注射の順番待ちをしていました。待っている間「インフルエンザはそれほどでもないけど、日本脳炎はスゴク痛い」とかワイワイ話し、注射が終わった人に「痛かった!?痛かった!?」と聞くのがお決まりでした。そして行列の前から伝言ゲームのように「注射してる時に横向いて針を見ないようにしてた方が痛くないよ!」と回って来たので、50過ぎた今でも、それをしています。
 
宝くじの行列。昭和62年5月のある日の日曜日、グリーン・ジャンボ宝くじを買いに福岡に行った。天神の西鉄駅構内の3つの売り場は行列が長かったので、行列が短かった天神のマツヤレディスの所の売り場で、グリーン・ジャンボ宝くじ200枚買って差し引き一万円損失になった。
 
富士山、山頂を目指す大行列を思い出します。私が学生だった昭和の頃もご来光を目指す深夜の登山道、山頂付近は大行列になっていました。その行列は大渋滞、追越すことも出来ず只々、列をなして山頂に向かう感じ。流石に標高日本一の山、道のりは長く、山頂付近になると険しく夏とは言っても寒くて…きつかった~。
 
昭和の行列と言われて思い出すのは、昭和39年の東京オリンピックの時のこと。と言っても、東京にオリンピックを見に行ったわけではありません。下松市内の当時、国道188号線、現在の海岸通りで見た聖火リレーの行列です。東洋鋼鈑の工場の前で聖火リレーの引継ぎが行われるのを見に行きました。先頭の人が聖火を持ち、その後ろに20人ぐらいの人が行列を作り走っていました。その引継ぎが行われる場所には、多くの人が見学に集まっていました。小学生だった私の記憶では、行列の皆さんは白いランニングシャツに白いパンツでした。子供心に、この行列がリレーをしながら聖火を引き継いで東京まで持って行くのだと思い感動しました。
 
昭和60年に軽井沢で結婚式を挙げたついでに、上野動物園にパンダを見に行きました。行列に並んでやっと見えたパンダは、小屋の中でその小屋が行列の位置から思ったより間近じゃなくて後ろを向いてるし、動かないし、色も白黒なのでパンダの姿はスチール写真みたいに見えました。「立ち止まらないで下さい」というアナウンスに急かされて、「えっ?これで終わり」と思いつつ、長いこと並んだのにパンダを見たのはほんの一瞬でした。
 
 
さて、次週、5/15のテーマは「昭和の外泊」で行きましょう。以前「1泊2日」というテーマでやりましたけれども、友達のうちに泊まるワクワク感、子供会のキャンプ、兄弟だけの旅行チャレンジ、おばあちゃんでのお泊りetc.昭和の頃の外泊ってチャレンジですよね~。
次週もお待ちしております!

昭和の行列

2022年05月01日

昭和46年生まれ50歳、高橋裕です。
 
今週は「昭和の行列」で30分。
 
 
昭和の行列というと一番の行列は、昭和45年の大阪万国博覧会ですね。高校2年生の時に広島市から父親と2人で行き、並ぶのが大嫌いな短気な父親と「月の石」を一目見る為に並んだのが一番の行列でした。
 
昭和45年、小学校3年生の時に、大阪で万国博覧会がありました。本当の孫のように可愛がってくれたおばあちゃんに2度連れて行ってもらいました。アメリカ館とソ連館は物凄い行列で見るのを諦めました。1番印象に残っているのは、夕暮れのスイス館。キラキラ輝いてとても綺麗でした
 
昭和の行列で思い出したのは「ガンプラ」です。入荷情報を聞きつけては、開店前からオモチャ屋さん、模型屋さんの前に何時間も並びました。
今でも忘れないのは、やっと自分の順番が来た時にはモビルスーツ系は全て売り切れ。残っていたのは「1/144 モビルスーツ用武器セット」のみ。せっかくここまで並んだのだからと、たいして欲しくも無いのに泣く泣くそれを買った記憶があります。
 
まだ学生だったので昭和56年だったでしょうか。ユーミン、そう、松任谷由実さんのコンサートが徳山の文化会館であるとのことで、同級生と「行こう」となりました。
そのころはまだオンラインとかコンビニでの販売はありません。チケットは、当時の徳山の「スズヤ」での販売でした。それで前の席をとるんならはよぅ行かんと買えん!!ということで、朝の4時にそのスズヤへ行きました。すでに10人ぐらいはいました。そのあと、時間が経つにつれ、あっという間に後ろの方に大行列が。スズヤからぐるっと回ってみなみ銀座の方へ長打の列。ざっと見て100人以上はおったでしょうか。早く並んだかいもあり前から4列目をゲット!ユーミンのコンサートを満喫しました。
 
小学生の頃、オイルショックが起こりました。その時、砂糖を買うために近所のスーパーに並んだ記憶があります。並びながら「何で石油がないのに砂糖が無くなるの?」と思った記憶があります。
 
 
さて、次週、5/8も「昭和の行列」で行きましょう。連休の高速道路のPAのトイレ、絶叫マシーン、切符・定期券の窓口、注射、初詣、運動会の席取り、パンダを見るetc.昭和の人は並ぶのが大好き、並んで当たり前でしたよね~。

 

昭和のへびPART2

2022年04月24日

昭和46年生まれ50歳、高橋裕です。
 
今週は「昭和のへびPART2」で30分。
 
 
小学生の頃、私の身長ほどもある白蛇が床下から這い出てきたことがありました。(実家は岩国市)しっとりツヤツヤの白い肌にルビーのように輝く赤い目。怖いというよりその美しさに釘つけになりました。
さて、この白蛇さまをどうしようと悩んだ大人たちは市役所に連絡。係のおじさんが迎えに来て頭をさっと掴むと、くるくるっとその腕に巻きつき、そのまま車に乗ってさって行きました。神様のお使いと呼ばれるにふさわしい、神々しいお姿でした。
 
昭和40年頃、自宅は、わらぶき屋根の木造平屋建ての家でした。
夕食後、リビング(6畳の和室)で、家族みんなでテレビを見ていたら、天井裏から大きなヘビが、身体の一部を出して、神棚の上で我々の方を見ていました。小学生だった私は、「大きなヘビがでちょる」と言って大騒ぎをしたのですが、父親は冷静に、「ヘビは、家の守り神じゃから、いじめたり、追い出したりしちゃいけんど」と言っていました。
その後、ヘビは、しばらく私たちの顔を見ていましたが、知らないうちに、元のように、天井裏に帰っていきました。その時に、家には、守り神であるヘビが住み着いているのだという事を教えられました。
 
子どもの頃、身体が弱い私を心配して祖母が大阪でマムシの粉末を買って飲ましてくれたのを思い出しました。美味しくないし気持ち悪かったのですが何年か続けました。今でも大阪では有名な会社で、電車から大きな看板をみると懐かしい気持ちになります。
 
我が家には30年前に叔父から沖縄の土産で頂いたハブ酒があります。涼しい日陰の場所でずっと保管されてたので、色あせる事無くぐるぐる巻きのハブが瓶の中で酒に浸かっています。
ちなみに夫が最近飲みましたが、けっこう美味しかったそうです。
 
岩国市で勤務していた昭和62年頃、職場の構内駐車場の公用車の下に青大将が潜り込んだので、誰も車に乗ろうとしないでいると、20代の独身女子職員がボンネットを開けエンジンルームにいた蛇の尻尾を手で掴みビニール袋に捕獲しました。どうするのか尋ねると、岩国城の麓の宿舎の裏山に逃がしてやると言うので、以後栄養士の彼女のニックネームは「蛇女」になりました。
 
ヘビで思い出したのはまむしドリンクです。私は中学時代、バレー部でした。そして結構強かったんです。夏にある県の選手権大会で、顧問の先生から試合の前に「まむしドリンク」を渡され飲めというのです。15歳の私は初めてそんなものがあるのを知り、ラベルにはヘビのような絵があり、ヘビが入ってるみたいで気持ち悪かったのですが、その頃は顧問の先生から言われたら断れません。いやいや飲んだ記憶があります。
 
 
さて、次週、5/1のテーマは「昭和の行列」で行きましょう。
オープニングセール、花火大会、橋の渡り初め、遊園地の乗り物、大阪万博、有名なラーメン店etc.昭和の人は並ぶのが大好き、並んで当たり前でしたよね~。

昭和のへび

2022年04月17日

昭和46年生まれ50歳、高橋裕です。
 
今週は「昭和のへび」で30分。
 
 
小さい頃は、祖母の家に遊びに行くと山や田んぼのあぜ道で、よくヘビに遭遇してました。さすがにヘビを見るとギャーギャー怖くて叫びまくりました。小学生の頃は、うちの母の自転車にヘビが巻きついていたことがあり、母が自転車ごとかかえて山の方に逃がしてやったことがありました。今は亡き母…すごいパワフル母ちゃんやったなぁと懐かしく思います。
 
自分が小学2年生位の頃です。夜、風呂に入っていた母が素っ裸で慌てて出てきました。母は、風呂で髪の毛を洗っていたのですが、洗髪のシャンプーの泡でかくれてハッキリ見えない状態で母のそばにネクタイの塊?の様なものがある事に気づいて、シャンプーを流してその塊を見直したら、びつくり!ヘビだったのです。その夜は風呂場にヘビを閉じ込めた状態で一夜後、翌日隣の農家のおばさんにお願いして、大捕物がはじまりました。自分は、遠くから見守っていました。農家のおばさんは、火ばさみを使ってヘビを捕まえてくれました。
 
「ヘビ」の映画で思い出すのは、1981年版の「タイタンの戦い」です。レイ・ハリーハウゼン氏が手掛けたストップモーションアニメを用いた特撮作品です。
物語のクライマックスで登場する「蛇女メデューサ」。下半身がヘビで髪の毛も一本一本ヘビの怪物。身体の動きもグネグネとヘビそのモノなのですが、髪の毛のヘビも一匹一匹が見事なまでにそれぞれ違う動きをしていて本当に気味が悪くて怖かった。映画館での初見はトラウマレベルでしたね。でも、特撮技術としては驚異的ですよね。あれを一コマ一コマ撮影したと思うと気が遠くなる。CGには無い見事な味わいですね。
 
以前、自分は高校の時に、ツチノコを絶対見たと言いましたが、ツチノコも蛇の一種ですよね。それとは別に、小学校の時に、兄貴と一緒に近くの山に行った時、幅が2メートルぐらいある道路に何故か1本のロープが渡してあったんです。
よく見ると、ドンドンと、はじっこが切れて短くなっていってます、側にいた兄貴が「蛇じゃ!捕まえろ」と自分に言うんで、短くなっていくはじっこを捕まえたら、道路脇の草むらからガサガサと音を立てて蛇の頭が出てきてこっちに向かって来ました。「うわぁああ!」と叫んで手を離したら蛇は草むらの中に消えて行きました、兄貴は「なんで逃がすんか!」と怒鳴りましたが、とにかく怖かった。巨大な青大将でした。
 
ヘビと言えば、川口浩探検隊でしょう(笑)。とにかく、大蛇、毒蛇が大好きでしたね。頭が2つあるヘビとか、お腹の中に丸のみされた人間発見とか、猛毒コブラの数千の大群とか、ワクワクしました。
ちなみにプロレスラーのザ・コブラも好きでしたし、青大将といえば、田中邦衛さんもEF58も好きでした
 
 
さて、次週、4/25のテーマは「昭和のヘビPART2」で行きましょう。ヘビに遭遇した、ライダーの怪人、おもちゃや花火、マムシ酒、ヘビ革の財布etc.「昭和のヘビ」でお待ちしてます!
 
 
そして、毎週水曜日更新のご昭和くださいYouTube動画もどうぞご覧ください。
今週は「昭和のクリームソーダ」
https://www.youtube.com/watch?v=4dSKjxoKWQs&t=62s
メロンソーダを山根さんに作っている作業風景もご覧いただきます
ぜひ、覗いていただいて、👍ボタンを!

昭和の磁石 PART2

2022年04月10日

昭和46年生まれ50歳、高橋裕です。
 
今週は「昭和の磁石 PART2」で30分。
 
 
子供の頃は、まだ舗装された道路が少なく、磁石を紐で結び、土の道を引きずりまわしながら歩きまわり、磁石についたいろんな鉄を集めて遊んでいました。中には、掘り出し物が付くことありました。
 
野球盤ゲームに、磁石、使われていましたよね。カーブ、シュート。でも、消える魔球機能は、もうちょっと後だったからかな?
 
小学校の頃、雨が降る日にしていたのが「磁石を隠して探し当てるゲーム」でした。友達の家は広くて、家電製品や家具置物が多数あり、それらの金属部分に隠した磁石を探すというもの。2組に分かれて1組が別の部屋に待機し、もう1組が探し当てる宝探しのようなゲームでした。これが以外と難しくなかなか見つからない時は、探す範囲が絞れるようにヒントを出すこともありました。雨の日に想像力を駆使して遊んだコスパの良い昭和らしい遊びでした。
 
昭和の磁石で思い出したのは、自動車のマグネット付キーケース(キー隠し)です。今のように分厚く四角い電子キーではなかった時代、上記のマグネット付キーケースにキーを入れて、車の下部等、見えない所に引っ付けてました。
海などキーを落としやすい所へ行った時や、とじ込み対策のスペアキー隠し等に使ってました。
 
小学生の頃、宇部駅前にあった駄菓子屋に、いつもは10円を握りしめて駄菓子を買いに行っていたのですが、ときどき親が50円小遣いをくれることがありました。その50円玉は今の50円玉よりも大きいものでした。そしてそれは磁石にくっつくのです。それが不思議でたまりませんでした。また1回だけですが穴のない50円玉を見たときは、偽物かと思いました。その後、小さな50円玉が出回るようになり、50円の価値が下がったように思えました。
 
夫の昭和のスピーカーが壊れて、そのスピーカーから取り出したU字型の強力な磁石がありました。それを当時まだ小さかった平成5年生まれの次男が、私のパソコンの上に置いて「データがぶっ飛んだ事件」が起こったことがありました。
 
前回の放送で「コンポ」の話がありましたが、昭和のオーディオファンは、レコードプレーヤーの先っちょのちっちゃなカートリッジ「針」に何万もつぎ込んだもの。レコード針の根本に磁石が付いていて、針が振るえると本体のコイルで発電して音が出るんですよね。
 
 
さて、次週、4/18のテーマは「昭和のヘビ」で行きましょう。定番のゴムのおもちゃでイタズラした、レッドスネークカモン、花火のヘビ玉、ヤマタノオロチetc.「昭和のヘビ」でお待ちしてます!
 
 
そして、毎週水曜日更新のご昭和くださいYouTube動画もどうぞご覧ください。
今週は「昭和の子供会PART2」。
https://www.youtube.com/watch?v=ClMUVJ_3wPk
ソフトボールで「右ショー」というポジションが!?
ぜひ、覗いていただいて、👍ボタンを!

昭和の磁石

2022年04月03日

昭和46年生まれ50歳、高橋裕です。

今週は番組がスタートして丸10年の節目でした。この10年間、本当に、リスナーの皆さんの積極的な投稿、そして、支えてくださるスポンサーの皆様のお蔭でございます。新たな10年もよろしくお願いします。
 
 
さて、今週は「昭和の磁石」で30分。
 
 
小学生の頃、確か磁石で鉄を擦ると、その鉄が磁力を帯びると言うことを聞いて、そこら辺に落ちていた五寸釘を、磁石で一生懸命に擦って、磁石にしていました。
 
昭和の磁石といえば、U字型磁石で砂場で砂鉄を集めていました。ただ集めるだけで、今思えば何が面白くてやっていたのかはわかりません。もう一つドライバーの先に磁石がついてるものには重宝しました。
 
昭和の磁石で思い出すのは父が大事に持っていたアルマイト(?)の水筒に方位磁石がついていた事です。ふたに埋め込まれており私は時々水筒をおもちゃ代わりにしていました。
 
磁石といえば、エレキバンでしょう。丸いガムテープの真ん中にちょこんとあった丸い磁石。親父が腰痛持ちで背中に貼っていまして、風呂に入る前にはがすと、「こっちのもの」です。テープをはいで、丸い磁石をプラスチックの迷路のオモチャに入れて、いかに早く中心に移動できるかを競ってました。
 
小学生の頃、磁石で開閉する筆箱が多かったと思います。そして、前後2ヶ所開けられて、鉛筆などを入れるところも2ヶ所ある物が流行り、買ってもらった時はうれしくて大事に使っていました。
 
昭和の磁石といえばトムとジェリーを思い出します。トムが珍しくジェリーと手を組んで、ライバルの猫ブッチにアイロンを飲み込ませ、∪字型磁石で引き寄せてブッチを思いのままに操る回がありました。
いくら逃げても引き寄せられるブッチに「そんなに磁力強いわけないだろ」と思って見てましたが、最近の磁石は昔より強力になって、はがす時は結構、力がいるようになりましたね。
 
多分、誰もがやったであろう“磁石を使ったいたずら”。私は、テレビのブラウン管に磁石を近づけていたずらしたことがあります。学校で使っている「棒磁石」を近づけるとブラウン管がきれいな虹色になり、当時、“スゲェ~!!”と思い調子づいて何度も何度も。とうとう全画面虹色になり。。。。夕飯時、テレビが全然映らなくなっていて、“キックボクシングが見れん!!”と、父親に怒られたことを思い出しました。
 
 
さて、次週、4/10もテーマは「昭和の磁石」で行きましょう。放送後に山根さんが言っていた「野球盤の変化球も磁石」「ボウリングゲームも!」昭和のおもちゃにも磁石が結構使われているんですね。次週も「昭和の磁石」でお待ちしてます!

昭和の何喰って感動したか募集したい PART2

2022年03月27日

昭和46年生まれ50歳、高橋裕です。
 
今週は「昭和の何喰って感動したか募集したい PART2」で30分。
 
 
私が感動したのは、子供の頃デパートで食べたお子様ランチです。チキンライスに旗が立っていて、ハンバーグとゼリー(ホイップクリームにチェリーが乗ってました。)などが入っており、子供心をくすぐる贅沢なメニューでした。
 
自分が18歳ぐらい、下関の彦島に住んでいた時、確か同じ職場の先輩にホルモン鍋を…食べに連れて行ってもらった時の、あの!あの!ホルモン鍋に衝撃が…走りました。
 
小学校低学年の頃、「エンゼルパイ」を初めて食べた時、浜田省吾の「終わりなき疾走」の1フレーズではないのですが、まさに「稲妻がオレの体駆け抜け」るほどの旨さに感動しました。
とりわけ、中にサンドしていたマシュマロはビジュアルといい、食感といい、何とも言えない甘さといい他の食べ物には例えようの無いほど、衝撃的でした。当時は2個入りの箱で売ってましたが今は8個入りのファミリーパックになり、当時よりちょっと小ぶりになりました。それでも僕にとっては今でも「イチオシおやつ」として、あの時の感動を思い浮かべながら味わっております。
ちなみに、エンゼルパイの美味しい食べ方で僕がよくやっているのは冷凍室に入れてから食べること。凍らせてもマシュマロがカチカチにならず、程よい食感で旨さも倍増します。
 
萩の菊ケ浜海水浴場のそばにあったお洒落なカフェのコーヒーフロート。昭和50年から60年位の間に何度も行きました。
当時、大阪に住んでいた私は帰省する度に、独身の時は友人と、結婚してからは子供達も連れて行きました。芝生の庭に白いテラス席もある大好きな空間でした。ほろ苦いアイスコーヒーに少し硬めのバニラアイスがゆっくり溶けていく瞬間が至福の時間でした。暑い海辺のリゾート感が懐かしく、当時の情景と共によみがえってきます。
 
昭和に何食べて感動したか、それは、夏休み、冬休みに母の実家佐世保に行って、必ず食後に出してくれていたレディーボーデンのバニラアイスです。祖母は大きなパイントカップで買っていて、それを大きなスプーンでよそってくれていました。今でも、アイスクリームはレディーボーデンのバニラだと思っています。アメリカ映画で、これをパイントごと食べているシーンを観て凄く羨ましかったのを思い出します。
 
もうちょっと高級なもので感動したものとなると…レディーボーデンですわ!山根さんの家と同じく、デザートなんてありませんから、バニラアイスっちゃー、親父が気分がいい時に買ってきた時ぐらいです。
そのレディーボーデン!初めはスプーンが立たないから少し待って。1個に兄と私が群がります!いっとき兄が食べ終わると今度は私の番。底が抜けるほどスプーンを立てて、最後には紙の底が抜けて下から液が…それをなめて終了するんですが、田舎の子はそこからが大変で。お腹を下すんです!食わんにゃーえかったと思うんですけどね!
  ↑↑
山根さん曰く「昭和の子は贅沢なものを食べると腹を壊す」
 
 
さて、次週、4/3は、番組がスタートして丸10年の節目です。第1回は2012年4月8日。この時はまだ「昭和46年生まれ○○才 高橋裕です」と自己紹介していなかったんですね。この形が定まったのは6月10日の第10回の放送くらいからでした。
この10年間、本当に、リスナーの皆さんの積極的な投稿、そして、支えてくださるスポンサーの皆様のお蔭でございます。
 
 
テーマは「昭和の磁石」。あのN極とS極のやつです。筆箱、ランドセル、ドライバーの先っちょ、砂場で砂鉄がつくetc.次週「昭和の磁石」もお待ちしてますよ!

昭和の何喰って感動したか募集したい

2022年03月20日

昭和46年生まれ50歳、高橋裕です。
 
今週は「昭和の何喰って感動したか募集したい」で30分。
 
 
我が家は中華の店を営んでいたので食べる事に関しては贅沢をしていたと思いますが、デザートや菓子類はほとんど食べない家でした。私は友達の家に行って頂くケーキやお菓子を見ると「テレビのドラマで見た風景」と、こども心に感じてました。
ある日、友達の中尾君の家に遊びに行った時に、口にした瞬間に「こんなんがあるんだ」と衝撃を受けたのが、ハウスのフル〇チェです。次の日に私が「フル〇チェ旨かった」って中尾君に言ったら、彼がお母さんにその事を・・それから私が遊びに行く時には必ずフル〇チェを出してくれるようになりました。
中尾君とは45年以上の付き合いで今でも時折遊んでいますが、彼のお母さんは今でも私が家に行くと出してくれています。
 
やはり、日清のカッ〇ヌードルでしょう。小学校6年の修学旅行時で別府に行ったと記憶していますが、学校の事前の説明で夜食としてカッ〇ヌードルを持ってくる様に進められたことを覚えています。
 
初めてカッ〇ヌードルを食べたのは、中学校1年の時です。理科の先生が「次の実験で使うので、カップラーメンの空容器を1個持ってきて下さい」と言われました。ヤッター!!と心の中でガッツポーズ。家に帰って母親にその事を伝えて、遂にカッ〇ヌードルを買って貰いました。
発泡スチロールの容器にお湯を入れて3分間…その時間が凄く長く感じました。付属のプラスチックフォークで食べた初めてのカッ〇ヌードル。スープまで全部飲み干しました、美味しかったです。
 
昭和時代に食べて感動したものと聞いて真っ先に思い出したのは長崎ちゃんめんです。
家の近くに長崎ちゃんめんができたのは、多分、私が中学1~2年の頃だったかと思います。通っていた英語の塾の先生が「長崎ちゃんめんって行ったことある?昨日、行ったんだけどね、すごいおいしかったよ」と話されたのを聞いて、母にねだって連れて行ってもらいました。
わくわくドキドキしながら初めて食べたちゃんめんは、とにかくおいしくて量がたっぷりで食べても食べても減らず、夢のような食べ物だと思ったのをよく覚えています。
大人になってから長崎旅行をした際に本場の長崎ちゃんぽんを食べましたが、長崎ちゃんめんの方が圧倒的に美味しいと思いました。もちろん今でも大好物です。

母が感動した食べ物の話。昭和11年生まれ、須佐の農家の長女の母は、須佐から萩高校に汽車で通っていました。昭和26年くらいの事です。高校の萩市内のお友達の家にいった時、魚肉ソーセージが出てきて、それにマヨネーズが添えてあったそうです。マヨネーズなんて、初めてで、びっくり。その友達のお父さんは大学教授、田舎の農家で育った母には、カルチャーショックだったみたいです。
 
 
さて、次週3/27のテーマも同じ山根さんリクエスト「昭和の何喰って感動したか募集したい」で行きましょう。カップ麺、ハンバーガー、白身魚のタルタルソースが寄せられましたが、山根さん曰く「もっと高級なものはないのか!?」庶民の皆様、次週もお待ちしてますよ!
 
 
そして、毎週水曜日更新のご昭和くださいYouTube動画もどうぞご覧ください。
今週は「昭和の教室の暖房器具」
山根さんの小学校の教室に暖房がない!の話から広がった特別枠です。
https://www.youtube.com/watch?v=xhJL2repn2c
 
 
動画と言えば、こんなメッセージをいただきました。
「私はサイレントリスナーですが、ずっと聴いています。動画を見るのが大好きで何度でも繰り返し見ています。高橋さんと山根さんの掛け合いが絶妙で何回見ても同じ所で笑えるのがたまりません。」
嬉しいですね~。
ぜひ、覗いていただいて、??ボタンを!


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